「語りつぐ大垣の会」が誕生するきっかけとなったのは、福岡空襲を題材にしたアニメ映画「火の雨が降る」の1989年の上映会。上映実行委員会の取り組みの中から、「大垣空襲のことも知りたい」との意見が出されたのが始まりだ。同年6月に第1回となる「私の空襲体験、私の聞いた空襲を話してください、聞いてください」の集いを開いた。参加者の中から「大変有意義な集いだった。来年も開いたらどうか」と言う声が数多く出され、翌年に正式に会が設立され、以来事務局長が入院したり亡くなった2005年と07年を除いて毎年「語りつぐつどい」を開いている。高木さんは演劇や映画の上演、上映仲間たちと上映委員会の時から参加。会の事務局員は岐阜経済大学名誉教授の池永輝之会長を含めて20代から80代の7人。高木さんは会が発足以来、事務局次長として活動を支えてきた。
「語りつぐつどい」では、参加者が空襲体験や戦争体験などを話し合うほか、被爆体験者やシベリア抑留体験者などの話も聞いてきた。紙芝居形式の「大垣の空襲」を作成し、事務局員や参加者が当事者になっての朗読劇も行ってきた。冊子の作成、戦争展、戦跡巡りなども開いてきた。事務局員作詞作曲の歌「あなたに伝えたい」もつくった。高木さんは「当初の参加者は10数人だったが、最近は40〜50人と増えている。多い時は60人の参加もあった。このために、紙芝居の上演や参加者で『あなたに伝えたい』の歌も歌いたいのだが、みなさんの意見をよりたくさん聞くために時間がない」とうれしい悲鳴をあげる。
大垣市史では、大垣空襲のうち4回目の7月24日には、南方から市中心部に飛来した「B29」1機が爆弾1個を投下し急転回して南方に去った。爆弾は高砂町地内に落下、岐阜県農業会大安支所や周辺民家などが全半壊、20人が即死した。当初は1トン爆弾と思われていたが後に長崎に投下された爆弾と同型、同重量の模擬爆弾だったことが判明したという。
高木さんは「研究者の資料によれば大垣市には軍需工場が多く名古屋市の衛星都市として米軍の空爆目標とされた。模擬爆弾は広島や長崎への原爆投下の訓練だったことは明らか」と話す。さらに「語りつぐつどいの会場は、いろんな人との出会いの場であり、そこでは参加者同士のいろんなつながりが出来てくる。私も多くのことを学びました。戦争体験や空襲体験をした人たちも少なくなった。二度と戦争を繰り返さないためにも今のうちに次の世代に戦争の悲惨さ平和の尊さを伝えていかなければならない。そのために何ができるのかを参加者とともに考えていきたい」と問いかけている。
2015.07.01(子林 光和)