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愛情に満ちた心温まる「愛の詩」の審査委員長、冨長 覚梁さん(79)


冨長覚梁さん
 「養老の滝」の孝子伝説で知られる岐阜県養老町が「家族の愛」をテーマに毎年、全国公募している「愛の詩」。スタートして今年度で14回目。当初は「親と子 愛の詩」だったが、詩の幅を広げるために、タイトルは少しずつ変わり、現在は「家族の絆 愛の詩」。
 同町在住の詩人として、立ち上げから携わり、審査委員長を務める冨長さんは「作品のレベルが年々高くなっている。子供たちの影響からか最近は町内の大人の応募も増えてきている。町民の間に詩が根付いてきたのでは」と喜ぶ。そして「年齢だが、もう少しお手伝いをしたい」と穏やかな言葉ながら、「愛の詩」に対する思いを語る。


入賞作品を発表する受賞者
(養老町提供)
 「愛の詩」は、詩人として多くの人に知られ、当時町の教育委員をしていた冨長さんや町教委幹部たちの「ふるさと」への思いや「まちづくり」対する熱い情熱から誕生した。
 「心の教育を進めよう」「養老町を詩のまちにしたい」「親孝行のまちを全国に発信しよう」などの、意見が交わされ、2000年度にスタートした。小中学生の部と高校生以上の一般の部があり、家族の絆、他人への思いやり、感謝の心を大切にする詩などが毎年、多数寄せられている。スタート当初は、1500〜1600編の応募があったが、1100編台に落ち込んだこともある。しかし最近は2000編を超え、昨年度は過去最高の2443編、今年度も県内をはじめ、北海道から九州までの全国各地から2299編の応募があった。


発刊された「愛の詩」の本
 これまでの累計は2万4526編にもなる。審査は冨長さんら5人が当たる。4人の審査員は半分づつを2人で担当するが、冨長さんはこれらの詩すべてに目を通してきた。「短い期間で読まなくてはならずに疲れますが、なかなか心打つ作品もあり、教えられることも多い」とうれしそうに振り返る。今年度の入賞者への表彰式と詩の発表会は1月末に行われ、冨長さんが講評した。入賞作品を集めた本も町から出版されている。


父 覚夢さんの漢詩レリーフ
=大垣市郷土館
 冨長さんは「詩は作文や感想文ではない。深いものを感じて作り上げていくもの。人に見えていないものでも、じっくりと見ていると本質が見えてくる。今年度の詩の中に、町内の小学6年生が書いた『黒いねこを追いかけたその先には』との作品があるのですが、この児童は『夕日を姉と一緒に見た。それが黒ねこのおかげ』と書いている。黒いねこを追いかけたことが詩になっている。詩を書くことで視野が広くなり、思いが深くなる。詩は感性。感性は磨けば豊かになる。見る目が違ってくる」とアドバイスする。


冨長さんの詩碑=大垣別院
 大学時代に詩を書く友人がいたから詩を書くようになった、という冨長さん。今でも天気の良い日は寝る前に星空をながめ、亡くなった両親や姉、友人たちに話しかけ、心を落ち着かせてから床に就くというロマンチスト。
 地元・養老町だけでなく、隣接の大垣市でも数多くの功績を残している。大垣市文芸祭の詩の審査員を40年以上続けているほか、市立図書館での現代文学講座・名詩鑑賞の講師なども務めている。
 濃尾大震災100年の1991年には、犠牲者への鎮魂に思いを込めて「朝(あした)に寄せる挽歌」の詩を書いた。その詩碑が大垣別院の境内に建てられている。
 詩の仲間たちを大垣市青野町の美濃国分寺跡に招いて「天平の詩の朗読の夕べ」なども開いた。その功績に98年に大垣市教委の教育功労者、翌年には大垣市の功労者として表彰された。
2014.03.03(子林 光和)

今回の西美濃な人

冨長 覚梁(とみなが かくりょう)

 日本現代詩人会、日本詩人クラブ、日本文芸家協会などに所属。県詩人会会長。元大垣高校(現・大垣日大高)教諭。詩集「障子越しの風景」や「天網のもとで」「庭、深む」、詩画集「四季の変奏」などを出版している。関ヶ原北小学校の校歌も作詞。第35回日本詩人クラブ賞や県芸術文化顕彰を受けている。
 父親は漢詩人で同朋大学教授や大谷大学講師を務めた覚夢(号・蝶如)さん。覚夢さんの漢詩レリーフが大垣市郷土館玄関横に飾られている。500年以上続く岐阜県養老町室原の長願寺住職。


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