、 飯沼慾斎 、

     (1783〜1865)



<近代植物学の開拓者>
 飯沼慾斎は天明3(1783)年、伊勢に生まれ、12歳のとき学問を志して大垣に出てから、激動する幕末期を大垣の地で蘭学医・化学者・植物学者として活躍しました。
 晩年50歳で家督を譲ってからは84歳で没するまで、別邸である平林荘で植物学に本格的に取り組みました。慾斎の調査・研究活動は徹底しており、自ら伊吹山、白山、御岳をはじめ、富山県、愛知県、三重県、和歌山県の山地奥深くに入って、植物を採集し、野山から帰るとそれらを1本1本手に取り、大きさや形、色合いはもちろんのこと、花の中まで綿密に観察し、肉眼で見えない所まで顕微鏡を覗きながら写生しました。
 このような慾斎の徹底した調査・観察・吟味の姿勢は優れた記録を生みだし、世界の名著といわれる本格的植物図鑑「草木図説」が完成しました。

<多彩な活動のあと>
◎医家として
 大垣俵町で漢方医として医業を継ぐ
 蘭方医学の研究と実践
  ・洋書の翻訳「ショメール脈説」  ・人体解剖
  ・「医説」  ・種痘

◎本草家として
 本草図譜
  ・草部  ・木部  ・虫部  ・介部  ・魚部
  ・禽部  ・獣部
 「南勢菌譜」
 「南勢魚譜」
 「南海魚譜」
 「南勢海藻図譜」
 鳥獣図

◎植物学者として
 『草木図説』
 採薬
 植物葉(サクヨウ)標本の作製
 「根尾山所産草木」
 顕微鏡の入手と活用
 「物印満(ワインマン)本草図譜訳名」
 「大黄私考」

◎化学者として
 大垣藩舎密(セイミ)局へ出仕
  (銃砲火薬等の研究)
 写真研究


戻る 次へ