青年クラブとは
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歴史



大垣青年クラブ発足まで

 戦後10年の昭和30年7月「生きぬく悩み」山本茂實著の本に、ある青年は大きな感動を覚え、青年達が市を興す先駆けたらんと情熱を傾け、大垣市の南校下の青壮年の中から地域団体を作るべきではないか!との声が起こり、南校下23町内300余名の青年が集い、「南部青年会」を結成し、レコードコンサート、年末夜警等を中心に青年の手で奉仕ずべきだとの方針を決め活動したが、会員増大による内部分裂で1年余りで解散、しかし、活動としては解散になったものの、青年活動に志す数名の青年は、「地域の発展に寄与はできないか」との決意のもと、昭和31年6月7名の青年と婦人会の有志5名の計12名で、6月にちなんで「水無月会」と称し発足し、毎月第3土曜日、会員宅にて先生を招き会合を重ねました。

当時の河川清掃活動 当時の河川清掃活動


 しかし、昭和32年婦人会が脱会したのを機に同年6月「土曜会」と改称しました。土曜会は毎月第3土曜日に開いたので、この名称をとることにしました。そして、昭和34年6月土曜会から「大垣青年クラブ」という団体が生まれたのです。大垣青年クラブは、土曜会という名称では余りにも視野がせまい、もっと大垣の青年に広く門戸を開こう。そのためにはこの会は大垣青年クラブと提唱したのが青年クラブ(故)説田和夫先輩でした。  平成時代に入り今におもえば、創始の進歩の元、会の運営に関する大きな試練を経験したことにより青年クラブが発きく発展できた原動力になったものではないでしょうか。そして、いく年がすぎ、昭和40年に平田青年クラブ、44年南濃青年クラブ、47年には垂井青年クラブ、48年にば岐陽青年クラブ、平成2年には海津青年クラブと姉妹クラブが誕生し、昭和48年6月「青年クラブ中央会」が発足。我々大垣青年クラブとして昭和51年6月「社団法人」格、さらに平成23年8月に「公益社団法人」格を取得し現在に至っています。

発足当時の事務所 発足当時の事務所
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