今朝、玄関を開けたら金木犀の香りが漂って来ました。日一日と日の出が遅くなり、それにつれて私の散歩に出る時刻も遅くなって来ています。今の私の生活の中で、朝の十分間の散歩時間は職をはなれて思考できる唯一とも言える時間になっています。
幼い頃、この家のおばあちゃんが鍋を洗う横に座っておしゃべりしたなあ、この椿の実を拾い集めたこともあったっけなどと思い出に浸りつつ歩いていると、ふと八重の山吹が目に止まりました。山吹って春の花だったんじゃないかと思いつつ「七重八重花は咲けども山吹のみ一つだに無きぞ悲しき」という一首と太田道灌の逸話を思い出しました。
そして、その隣家にはまだ鉄線が咲いています。彼岸花が十月に入ってから咲き、萩につづいて秋冥菊も咲きはじめて、季節は確実に秋になって来ているのですね。それにしても、今年の酷暑は日本の四季の花々までも戸惑わせてしまったということでしょう。
そういえば一年前に火事で焼失してしまったお宅の空地には白の芙蓉が咲き初めていました。最近知ったのですが、芙蓉の別称は木はちすですが、木槿(むくげ)の別称も木はちすというそうです。面白いですね。
こうしてペンを走らせながら、今の子どもたちの鉛筆の持ち方が思い出されます。学校訪問の時、心理検査の時に子どもたちの手元を見ると、正しい持ち方の子がどの位いるのだろうかと心配になって来ます。体幹の弱さは姿勢保持の難しさや手先の不器用さにつながります。世の中の変化、家族や地域の変化、子どもの遊びの変化などが子どもの発達に大きくかかわっていることを知りつつも、十分なことを為し得ないどころかないがしろにしている現実に、心痛む日々でもあります。
ふと、ペンを止めて連合いに「私って一生のうちにどれ位文字を書くんだろう。」と呟いてみたら、「このパソコンの時代にいつまでも手書きって…狂気だね。」と返されてしまいました。狂気か、なるほどそうかも知れません。母の胎内にいた頃、主治医から「このお子さんは異常児だろうと思います。」と父は告げられたそうです。私のこだわり、頑固さはまさにそう言えるかもしれませんね。(笑)
2024.10.21 発行