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歴史を学び地域おこしに取り組む「美濃国府と活きる府中の会」代表、高木 正弘さん(73)


高木正弘さん
 歌人、紀貫之や在原業平らも国司を務めたとされる「美濃国府」(岐阜県垂井町府中)。その史跡を次世代に語り継ぐとともに地域活性化に寄与しようと活動する「美濃国府と活(い)きる府中の会」。国司の名前を書いた「あんどん」や美濃国府のイメージを膨らませる「ミニ模型」をつくるなどしている。高木正弘さんや相談世話役の小竹一成さん(75)は「地元の人に府中の素晴らしさを感じてほしい。誇りを持って『美濃国府』を語り継いでもらいたい。子どもたちにも府中に住んでいることに誇りをもってもらいたい」と、熱く語る。


美濃国府について話し合う
高木さん(左)と小竹さん
 垂井町教育委員会が作成している資料などによると、「国府」は、律令国家の地方役所。当時、行政区画としての国は60数カ国に区分されており、律令政府(中央)の出先機関として各国に国府が設置された。岐阜県は当時、美濃の国と飛騨の国に分けられ、美濃国の役所としての美濃国府が置かれた。それが垂井町府中にあったことが、地名や同教委の1991年から13年にわたる発掘調査で明らかになった。2006年1月には国の史跡に指定された。


美濃国府正殿の遺構が眠る
南宮御旅神社
=岐阜県垂井町府中
 発掘調査によって明らかになった美濃国府政庁(国府の中心となる建物)の範囲は、南北73.5メートル、東西66メートル。儀式の場であった正殿、饗宴の場であった東西脇殿の建物の礎石などが見つかっている。正殿の遺構は、現在の南宮御旅神社社殿の下に眠っているとされる。

 「府中の会」は2014年7月の設立。現在の会員は、府中に住む人を中心に50〜70代の約40人。自営業者、会社員、元県職員など職業はさまざま。例会を原則毎月1回開き、美濃国府についての勉強をする一方、美濃国府の概要説明をするなどの各種活動を展開している。「史跡美濃国府ミニ情報」も発行している。高木さんは今年4月から2代目代表。


美濃国府と国司の名前が
記された「あんどん」
 「あんどん」作りは昨年度からスタート。国府について多くの人に知ってもらおうと、あんどんに美濃国府の文字とランダムに選んだ国司の名前を記している。昨年は100個、今年は200個作成した。うち61個は地元の府中小学校児童が将来なりたい職業や願いなどを書き込んだ。作成したあんどんは、白鬚・南宮御旅神社の秋祭り「秋の踊りの夕べ」で、参道に吊るして明かりを灯した。踊りの後は、児童や秋祭りに参加した地元の人たちにプレゼントされた。高木さんたちによると、奈良、平安時代に紀貫之や在原業平のほか、大江山の鬼退治で知られる源頼光ら延べ約250人が国司として就任したという。府中小学校の樋口章夫校長は「6年生はふるさと学習の一環として美濃国府について学んでいるが、あんどんづくりを通じてさらに国府への理解が深まったようだ。社会科の研究で『もっと知りたい』といろいろ調べている児童もいます。良いきっかけになっています」と、語る。


美濃国府政庁をイメージした
「ミニ模型」=府中小学校
 「ミニ模型」は、会員の前田宏さんと桐渓晃靖さんが4カ月かけて制作したもので、政庁をイメージした実物の100分の1の大きさ。図面などもなく、柱の跡などを参考に造り上げたという。今年6月に同校へ寄贈した。11月12日の地区文化祭にも出展する予定。
 高木さんたちは「活動を通じて地域の人たちに美濃国府への関心が持ってもらえるようになってうれしい。これからも『美濃国府』という『種』を活かして、地域の発展のお役にたちたい。後世の人に笑われないように頑張っていきたい」と話す。その言葉からは、府中が大好きだという気持ちが伝わってくる。
2017.11.01(子林 光和)

今回の西美濃な人

高木 正弘(たかぎ まさひろ)

 元岐阜県職員。総務部広報課長や西濃振興局長などを歴任。退職後は花の都ぎふ花と緑の推進センター理事長や岐阜県教育文化財団理事長なども務めた。一昨年3月までは、社会福祉法人の特別養護老人ホーム施設長としてお年寄りの福祉について尽力。現在は行政書士。健康法は、親しい仲間たちと週に3回ほど行っている身体のトレーニング(軽体操)とか。岐阜県垂井町府中で生まれ、府中で妻と長男の3人暮らし。


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