
祝!ユネスコ無形文化遺産登録
文化庁から国連教育科学文化機関(ユネスコ)に登録提案されていた大垣市の「大垣祭のやま行事」を含む「山・鉾・屋台行事」は、平成28年12月1日にエチオピアで開かれた政府間委員会で審査され、ユネスコ無形文化遺産に登録されました。大垣市の文化財としては、初の登録です。
もう5月!早いもので今年も大垣まつりの季節がやってきました!
初夏の大垣を彩る祭り囃子、たくさんの露店、幻想的な夜宮の灯り。早く来い来い大垣まつり。ゴールデンウィークもまだですが、今からお祭りが待ち遠しいですね。
さて、360年余の伝統を誇るこの絢爛豪華な大垣まつりは、平成28年12月、ユネスコ無形文化遺産に登録されました。今年も13両のやまが城下町を進行し、華麗な祭絵巻を繰り広げます。
やまの歴史にも、グッ!と迫ってご紹介いたします!
大垣祭のやま行事がユネスコ無形文化遺産に登録
国の重要無形民俗文化財からユネスコ無形文化遺産の登録へ
27年3月2日、大垣祭のやま行事が国の重要無形民俗文化財に指定されました。
岐阜県では高山祭の屋台行事や郡上踊などの民俗文化財が既に国の重要無形民俗文化財に指定されていますが、今回大垣祭が指定されたことで、合わせて11の民俗文化財が指定となりました。また、大垣市内では初めての国の重要無形民俗文化財となります。
重要無形民俗文化財の指定では、大垣祭の次の点が評価されました。
- 大垣藩主下賜(かし)のやまと町衆のやまの併存する形態。この形態は全国的にも希少。
- やま上で奉納される多彩な芸能。
- 滋賀県の長浜曳山祭りの舞台型式や、愛知県の名古屋を中心とするからくり山車の型式など、周辺地域の祭礼文化を取り入れつつ、大垣独自の様式を形成。これは国内の山・鉾・屋台(やま・ほこ・やたい)行事の伝播や変遷を理解する上で重要。
そしてユネスコ無形文化遺産への登録
文化庁から国連教育科学文化機関(ユネスコ)に登録提案されていた本市の「大垣祭のやま行事」を含む「山・鉾・屋台行事」は、平成28年12月1日にエチオピアで開かれた政府間委員会で審査され、ユネスコ無形文化遺産に登録されました。
大垣市の文化財としては、初の登録となります。
ユネスコ無形文化遺産の登録に関する大垣祭の特色
- 大垣祭のやま行事は、大垣の城下町祭礼として伝承されてきた美濃地方を代表する祭礼行事であり、大垣藩主下賜(かし)のやまと町衆のやまが併存する形態は全国的にも希少。
- からくり人形には中京圏の山車(だし)行事、やま上(やまじょう)の芸能には近畿圏の山車行事の影響が色濃く、東西の祭礼文化の交渉がうかがわれるなど、国内の山・鉾・屋台(やま・ほこ・やたい)行事の伝播や変遷を理解する上で重要
大垣祭の芸能やに用いられた技術、祭を行うことの意味やそこから広がる世代を超えた多くの人々への影響、その大切さが国や世界で認められる。それはとても誇らしく、嬉しい事ですね。
大垣まつりは毎年5月15日直前の土、日曜日に開催されます。
皆さんもこの機会に、おまつり当日はもちろんイベントもぜひぜひチェックして、様々な角度から大垣まつりを楽しんでくださいね。
国重要無形民俗文化財とは?
国重要無形民俗文化財とは、日本各地の人々が暮らしを営む中で生まれ、昔から現代にまで受け継がれてきた無形の文化財。その中でも特に重要なもの、国が指定したもののことをいいます。
風俗慣習、民俗芸能そして民俗技術と文化財の種類は数多く、そのどれもが人々の暮らしの中で形作られてきたものたちです。
旅行へ出かけたとき、テレビや雑誌で見かけたとき、こうした無二の民俗文化財に目を向けてみることで、日本の文化・人々の暮らしの文化をより強く感じることができますよ。
現在日本では、国重要無形民俗文化財として合計294件の文化財が指定されています。(2016年4月現在)
どんな文化財が登録されているか、詳しくは
文化庁ホームページ
で確認する事ができますので、ぜひ見てみてください。
ユネスコ無形文化遺産とは?
ユネスコ無形文化遺産とは、民族文化財、フォークロア、口承伝統などの無形のもの(無形文化財)を保護対象とすることを目指したものです。
無形文化遺産とは、慣習、描写、表現、知識及び技術並びにそれらに関連する器具、物品、加工品及び文化的空間であって、社会、集団及び場合によっては個人が自己の文化遺産の一部として認めるものという定義があります。
大垣まつりの概要
大垣まつりは、大垣市の総鎮守である大垣八幡神社の例祭に行われる山車行事です。
1648年に藩主の戸田氏鉄が八幡神社を再建した時、城下の十か町が十輌のやまを造り曳回したのがはじまりとなり、1679年に藩主の戸田氏西から三輌のやま(神楽やま(かぐらやま)、大黒やま(だいこくやま)、恵比須やま(えびすやま))が下賜されたことによって、合わせて十三輌のやまが城下で賑やかに曳き出されるようになりました。
このやまは、濃尾震災や戦火によって多数失われてしまいましたが、その後、修復や復元などによりやまの再建が進められ、2012年には70年ぶりに十三輌のやまが勢ぞろいしました。
大垣まつりで行われる出やま巡行のうち、まつり1日目に行われるものを「試楽(しがく)」、2日目を「本楽(ほんがく)」、両日の夜に行われるものを「夜宮(よみや)」といいます。
試楽では、八幡神社に全てのやまが参集し、鳥居の前で、奉迎と称してからくり人形や子どもの手踊りなどが演じられます。その後大垣市役所まで市内を巡行し、市役所前で各やまがからくり人形を披露。夜になると再び八幡神社に集まって夜宮を行います。
本楽では、試楽と同じように八幡神社で全てのやまが奉迎を行い、その後、1日かけて十三輌のやまが行列を組み、城下町を巡行します。
また、両日行われる夜宮では、各やまに提灯を一斉に灯し、順番に奉迎し、手古(てこ)と呼ばれる曳手たちがやまを前に傾け、左右に回転させるやま廻しが行われます。たくさんの提灯で彩られたやまが勢いよく華やかに動く様は、昼間とは一味違った大垣まつりを味わうことができます。本楽の夜宮では八幡神社の神輿も加わり、より一層の賑わいとなります。
試楽と本楽では、やまの巡行ルートが異なります。
大垣まつりの特徴でもある2.2里(約8.8キロメートル)の本楽やま巡行は、東回りと西回りの年次交代で行われています。
やまと共に大垣のまちを巡りながら、祭りの賑やかさを、受け継がれてきた大垣まつりを堪能してみませんか?
大垣まつり基本情報
やまのルートと巡行スケジュール

やまのルートは西回りと東回りの2種類がありますが、2018年の本楽は西回りです。
やまの通るルートは下の地図のようになりますので、やまを見物するときの参考にしてくださいね。祭り期間中の交通規制と、駐車場・トイレの位置等も記載してありますよ。
やま巡行の雨天中止等については
大垣市観光協会フェイスブック
にての案内予定です。
また、大垣まつり期間中に使用できる
『大垣まつり 露店・駐車場・おトイレマップ
』を作成しました!臨時駐車場やコインパーキングなどをマッピングしましたので、ぜひご利用ください。
試楽 5月12日(土)
時間 |
内容 |
場所 |
8:45〜9:30 |
奉芸 |
八幡神社前 |
9:30〜12:00 |
掛芸披露 |
大垣市役所玄関前 |
12:00〜18:30 |
出やま自由巡行 |
旧市内一円 |
19:00〜21:00 |
夜宮 |
八幡神社前〜龍の口橋 |
本楽 5月13日(日)
時間 |
内容 |
場所 |
8:45〜10:50 |
奉芸 |
八幡神社前 |
10:50〜17:10 |
出やま巡行・西回り |
旧市内一円 |
16:20〜17:10 |
大垣まつり行列 |
新大橋交差点〜八幡神社前 |
19:00〜20:10 |
夜宮 |
八幡神社前〜龍の口橋 |
20:45〜21:00 |
お頭渡しの儀 |
八幡神社拝殿 |
大垣まつりやま巡行位置案内
やまが今ドコにいるのかを知るには、「
やま巡行位置案内
」がおすすめ!
巡行するやまの位置情報をリアルタイムにインターネットの地図上で確認することができるので、ぜひこのサイトでお目当てのやまをチェックしてくださいね。
大垣まつり行列

全ての出やまが、新大橋交差点から八幡神社の区間に集合します。
- 2018年5月13日(日)
- 16:20〜
- 新大橋交差点〜八幡神社

掛芸奉納時、紙ふぶきを舞わせながら、やま全体がぐるぐると回転する姿は必見!
別名、御払やまとも市やまとも言われ、常に行列の先頭を行きます。
芸は、巫女と山伏の2体からなっており、人形神楽としては、330年ほどの歴史を持ち、舞台の下から人が直接棒で操るのは、全国的にも大変珍しいものです。

七福神の1人であり、水を吹いたといわれる大黒さま。右手に宝槌を持っているよ。
米俵2俵を置き、その上に、右手に小槌を持ち、左肩に稲袋をにない、ふくよかな笑みをたたえた、七福神の一人である福の神、大黒天が乗っています。
昔は、このやまの当番町にあたった町内では、大黒天の使獣である鼠は殺さないという習慣があったそうです。

顔の塗料を塗り替えようとしたら火を噴いた、と伝わる恵比須さま。大きな鯛をかかえています。
恵比須大神の顔面塗料が剥げていたのを塗り師が塗り替えようと触れた途端、口から火を吹いたと言われています。
本楽の夜、各町のやまが曳きわかれた後、その年の恵比須やま責任町から、次の年の責任町に恵比須神のお頭を渡す儀式(お頭渡し)が古来と同じ手順で今も行われています。

元々は白木でしたが、2013年に深い赤色の漆が塗られました。全部のやまの中で、一番大きいやまです。
屋形人形は尉と姥が置かれ、本やま人形は住吉明神、前やま人形は、神主友成が置かれています。
からくりは、謡曲「高砂」にあわせて住吉明神が激しく舞い、対象的に神主友成は静かなる動きをしながら中央まで進み瞬時に帆掛船に変わるので、高砂やまとも呼ばれます。

扇を持ったからくり人形が大きく踊り、逆立ちします!からくり人形の中でも、特に見ごたえのある舞をしますよ。
唐子人形が右手に扇を持って舞いつつ、やま上に向かって右先の隅にある台に近づきます。それから、台上に左手をつき、片手で逆立ちをし、右手の扇を開いて転舞する仕掛けです。離れからくりは、この布袋やまだけです。
2012年3月に、70年ぶりに再建されました。

「からくり」が筆を持ち文字を書く!見事な芸に注目!
別名、天神やまとも呼ばれており、やまのからくりは、塩振り・文字書き・額持ちの3体からなっています。文字書きは約2メートル離れた下から、操作する人が筆柱を動かし一筆で書き上げ、書き終えると、額持ち人形が額から紙を落として一連のからくりが終了します。このやまの見送り幕には、大垣市出身の大橋翠石画伯による虎が描かれています。

荒ぶる大ナマズと、取り抑える翁の動きに注目!
このやまは、別名、道外坊やまと呼ばれており、1648年に造られました。からくり人形は、赤い頭巾を冠り、金色の瓢箪を持った老人であり、からくり芸は、鐘と太鼓の賑やかなお囃子にあわせて、金色の瓢箪で、水上で踊り狂う大鯰を取り押えるものです。

巫女の人形が、鈴と榊を持って神楽を舞います。
屋形には榊と神鏡が飾られており、天鈿女命が榊と鈴を持って静かに神楽を舞います。天鈿女命が、白木台の上の鈴と榊を手に握りとるところが、このからくり人形の見どころです。

カメの口から、ピンポン玉が飛び出します!
他のやまには見られないユニークな仕掛けですね。
屋形の中に浦島太郎、その前に乙姫・竜神・亀、前やまに唐子を配置しています。
亀が泳ぎ、その甲羅の上の玉手箱が開くと蓬莱山が現れ、亀の口からピンポン玉が飛び出す仕組みになっています。
前水引の飛竜幕は高波に四匹の飛竜を金糸の刺繍で盛り上がらせ、横水引は両面仕様となっています。
昨年3月に、70年ぶりに再建されました。

舞台上で少年少女が披露してくれる舞踊に注目!
初め赤坂の金生山で採取した石を運んだ車を改造した石曳やまでしたが、江戸中期にからくりやまに変わりました。しかし、1815年の大洪水で大破したため、唯一残った彦火火出見命(玉の井さん)をやま上に配し、前方を舞台にした芸やまに変わりました。舞台では、かわいい子どもの舞踊が披露され、観客の目を楽しませています。

可愛い子供の舞踊に思わず見とれてしまいますが、それだけではなく、上に乗っているウサギのカラクリもぜひ見てみてくださいね!
琵琶湖の竹生島を謡った謡曲を題材に作られたやまで、弁財天を首座に配することで、別名「弁天やま」と呼ばれています。弁財天は、七福神の一人として親しまれ、屋形の奥に祀られています。やまの前部は踊り舞台となっており、子ども舞踊が演じられ、からくりと舞踊を楽しめる唯一のやまです。

豆を拾っている鳩を見る狂言師の目がクルクルびっくり!口がパクパクしていて面白いですよ!
愛宕やまの上段屋形内には、祭神、神功皇后が祀られています。からくり人形は、中段左に武内宿祢、右に狂言師、下段には采を振り穢れを払って先導する、麾振り人形があります。からくり芸は、謡曲「弓八幡」を題材としており、二羽の鳩が現れて豆を拾うからくりは全国でも珍しいと言われています。

赤い髪の人形は、猩々という想像上の生物を模したからくり人形です。酔っ払って踊る猩々さんに注目!
謡曲「猩々」を題材にしたやまで、2001年に、56年ぶりに再建されました。からくり芸は、猩々の人形が壷に顔を突っ込み鯨飲すれば酔って紅顔となり、猩々はたちまち獅子に変わり、大酒壷は割れて大輪の牡丹の花が咲き乱れ、獅子はこれにたわむれ舞い狂います。

市青年のつどい協議会による御輿の渡御も行われ、祭りムードを盛り上げます。
大垣の八幡神社が所有する御輿は3基あり、本楽の夜宮に限り登場します。
御輿は、大きいもので1トン近くあり、3基の御輿を総勢150人ほどで担いでいるそうです。
相生やまのからくり人形を操る人形方の紹介 〜西美濃な人〜
伝統のある「大垣まつり」で相生やまのからくり人形を操る人形方、伊藤 友紀子さんの紹介
国の重要無形民俗文化財の「大垣祭(大垣まつり)のやま行事」。昨年末には、全国32件の「山・鉾・屋台行事」とともに、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の無形文化遺産にも登録された。登録後初の「大垣まつり」は、5月13、14日に開催され、13両のやまが岐阜県大垣市中心部を曳き回される。やまの上では、からくりや踊りが披露され、華麗な祭礼絵巻を繰り広げる。相生やまのからくり人形を操る伊藤友紀子さんは人形方としては珍しい女性。「たくさんの人に見ていただくのは緊張しますが、喜んでもらえたらうれしい。大垣のまつりから世界のまつりとなった大垣まつり。今年も多くの人に見に来ていただ…
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やまと芸能の披露について
大垣まつりを風流すなわちその趣向という側面からみると、大きくは曳山と練り物にわけられます。
練り物である朝鮮人行列は近代初頭に廃されて遺品のみ残されている状態なので、現行は曳山のみとなります。
この大垣まつり最大の見所である曳山、これに付随している趣向や芸能は実に多様です。
【やま】
やまは人形やまと芸やまに分けることができます。
芸やまとはやまの一部を舞踊や歌舞伎などを上演する舞台面としたもので、大垣まつりに即していえば、船町の玉の井やまと伝馬町の松竹やまとなります。この2つ以外の十一輌は人形やまに区分され、こちらは更に3種に分けられます。恵比須やまと大黒やまのように比較的大型の人形を飾るもの。なんらかの形で人形を操るもの。この操る人形は華麗で精妙な人形からくりと素朴で特異な杖頭人形の2種類があります。後者の杖頭人形を配しているのは、神楽やまのみです。
このようにやまの構造やからくりの機構が複雑になっている要因の1つとして、たびたびの災害すなわち水害・地震・戦禍によってやまの破損、焼失に見舞われたことが挙げられます。人形ややま本体が焼失、または洪水で流されたという経験を経て、他町村からやまを購入、古写真を参考にして腕のよい職人によって造りなおされた結果、現行のやまの形となりました。その中でかろうじて災害を逃れた人形ややまは補修を繰り返しながら現在も受け継がれています。
【錺金具】
大垣まつりで私たちが目の当たりにするやまは、本体が建造されてから、そこに町の人々が風流を凝らし施してきた装飾に満ちています。とりわけ金色に輝く錺金具は、やまの荘厳性をいっそうきわだたせ、祭礼全体の賑わいと華やかさを醸す主役の位置を占めています。
しかし、これらの錺金具は1891年の濃尾地震や1945年の空襲などに遭い、江戸時代の錺金具の窮状を窺い知れるやまは極端に少なくなってしまいました。その錺金具を今後あるべき姿で後世に残し、また欠失した金具を復元していくために、各関係者は力を尽くして日々取り組んでいます。
【芸能】
現在の大垣まつりのやまに伴う芸能には、謡曲が強く寄り添っています。
つまりはからくり芸の趣向のほとんどは謡曲に取材し、謡や脳囃子がからくりの最中に流されます。場合によってやまの名称そのものに採用されているように、能あるいは謡は密接に関わりがあります。
一方、近世後期では、歌舞伎や浄瑠璃の流行が大垣にも及び、失われた新町の小船やまでは、1891年まで浄瑠璃の地で舞踊を演じていたといわれ、船町の玉の井やまもかつては子供歌舞伎を演じていたそうです。その後歌舞伎狂言からそれを取材した舞踊まで時に応じて自在な演出が考案されて上演されていたと考えられています。
それらの経験を経て、且つその時代、その世代の流行などを取り入れた結果、現在では主に能囃子を伴奏として使用し、それにあわせてからくりが、子どもたちが華やかにかわいらしく舞っています。
まつり当日まで子どもたちは、各社務所などでそれぞれ囃子や舞いなどの練習を一生懸命行っています。
その他、各やまに配された趣向を凝らした人形たち。時には災害により破損、焼失したものもありますが、職人達の手によって蘇り、現在の大垣まつりを形作っています。