
元禄2(1689)年8月、松尾芭蕉は「奥の細道」の旅で、大垣にしばらく滞在し、土地の俳人との交流などで長旅の疲れを癒しました。その後、伊勢神宮の遷宮拝観のため、9月6日に谷木因・近藤如行ら親しい友と別れ、船町港から水門川・揖斐川を舟で長島へと向かいました。
大垣市の船町港跡・奥の細道むすびの地にある句碑の「蛤のふたみに別行秋そ」は、『奥の細道』の文末を飾る芭蕉翁真髄の作品です。
『芭蕉蛤塚忌』は、芭蕉翁の遺徳を偲び、俳句を市民文化として根付かせたいとの願いを込め、芭蕉翁の忌日(10月12日)に近い10月の第3または第4日曜日に開催する全国俳句大会に先立ち、有志相集い船町港跡の蛤塚(句碑)前において執り行うものです。
この蛤塚(句碑)は昭和32年に『奥の細道』270年祭を記念して、大垣市文化財審議会によって建立されたものです。

大垣市が、全国に発信している「全国俳句大会」は、昭和60年11月3日、第1回目を開催して以来、平成6年には、芭蕉翁没後300年を記念して、芭蕉の遺徳を偲ぶため、「芭蕉蛤塚忌」と改称しました。
「美濃の芭蕉忌」として定着することを願い、「蛤塚忌」が、季語として仲間入りできることを、大垣市民は切に願ってまいりました。ご応募いただく皆様にも、「蛤塚忌」の文言を含んだ句を詠んでいただくよう呼びかけてきました。こうした地道な営みを重ねるごとに、「蛤塚忌」を詠み込んだ俳句が年毎に増えてきました。こんな機運の高まりの中で、加古宗也氏を総監修者として刊行された「平成俳句歳時記」(北溟社編・平成21年2月20日発行)冬編で、この「蛤塚忌」が、「芭蕉忌」の傍題として採録され、時雨忌・桃青忌・翁忌等と肩を並べることができました。
このことは、大垣市民並びに、この事業に携わってきた関係者にとって、長年の夢がかなえられ、大きな喜びであります。





いずれも、以前の本大会で上位入賞された方々の作品です。
そこで、今年も、「蛤塚忌」を季語とした句も含めて、皆様からのたくさんのご応募をお待ちしております。
今後は、さらに皆様に多くの参加応募をいただくとともに、その他の歳時記にも広く位置づけられることを願っております。